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※スマートフォンの方はYouTubeアプリで視聴していただくと、VRビューでご覧いただけます。
どこまで
が絵なのか
どこから絵でなく
なるのか
僕はこれは、まだ
絵だと思う
When do we start calling it “a picture”
or stop calling it “a picture” —
I think this is still a picture.
SNSなどを通して、パソコンやスマートフォンのディスプレイで絵を見る機会が圧倒的に多くなってきている今、
「絵画」の本質はどこにあるのか?という疑問を、ここ数年ずっと持ってきた。
今展はその問いかけでもあり
今自分が可能なかぎりで答えを導き出した結果でもある。
ウイルスの感染拡大でオンライン展示を余儀なくされ、パソコンやスマートフォンでのみの鑑賞になるとは
予想もしていなかった。
奇妙な因縁を感じずにはいられない。
6月22日
PICTURE at hitoto 終了いたしました。4月18日のオンライン展示スタートより約2ヶ月間の長期の展示になりましたが、お付き合い頂きありがとうございました。
このシリーズはこれから自分の制作の柱の一つになっていくだろうと思っています。数年前から温めてきた今回のテーマと作品を、コロナウイルスの感染拡大や社会活動の自粛という特殊な状況の中で発表した事は、僕にとって大きな転機にもなりました。
展示最終日の三保谷さんとのトークイベントの配信でも少しお話したのですが、現在作りたい作品はすべて今回のテーマと作品や今回の事態を経た延長線上にあります。
「PICTURE」の作品と並行して、別の展示のために1年近く描き続けてきた大きな作品があったのですが、今回のコロナや「PICTURE」展示を経て、「今はこれを展示したくない」という思いが強くなって、完成直前で制作ストップしました。社会との関わり方や、色々な事が、元に戻るようで、実際は変わったと感じています。
不安もありますが、それ以上に今後の自分の作品とこれからの世界が楽しみです。
hitotoの皆さん、本当に大変お世話になりました!コロナウイルスのせいで普段通りにいかない事ばかりという状況で、常に僕の意見を聞いて下さってサポートしていただきました。本当にありがとうございました。
次の動きとしては、まずはPICTUREの「オンライン巡回展」の企画を進めていきます。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
6月19日
[作品紹介]
「09」は、水だけで描いた。
水を吸ってふやけた紙、水を弾いている部分、何も塗られていない紙の表面。
今はこの元画はただの波打った紙になっている。
6月18日
[作品紹介]
「02」は、第一弾のフライヤーのメインビジュアルに選んでもらった作品だ。どの画をフライヤーにするかは、hitotoのデザイナーの田中さんに提案してもらった。「こういう画を作りたい」と頭の中で作ってから三保谷さんのスタジオで描き上げた。だから、作為的になるかもしれないな、という予想もしていたのだが、それが良い具合に絵になったと思う。ポスターもこれで作った。
6月17日
[作品紹介]
「04」と「08」は、描き終えてから撮影するまでの時間と光の当て方を変えたもので、実は同じ画である。
展示をじっくり観てくれる人でも案外気づかないみたいで、種明かしをすると大抵驚かれる。
6月16日
[作品紹介]
「01」と「05」は、数年前からイメージとして頭の中に持っていたもの。手を動かして作り進める中で、絵画として成立する可能性を感じて、画材を工夫して失敗したり、自分で撮影してみたりして、一人で格闘していた。
その後、三保谷さんに撮影してもらった画像を見て、作品として出せると確信を得た。僕のこれまでの絵と、今回の展示「PICTURE」の丁度中間辺りにある画だと思う。
「05」にはピントが合っている部分と合ってない部分があっておもしろいと思った。
6月15日
この度、京都市文化芸術活動緊急奨励金の奨励者として採択していただいた。
奨励を受けた企画はPICTUREの「オンライン巡回展」だ。
今、行く事のできない遠い地のギャラリーに、作品を送って、展示設営をしてもらう。そしてVRカメラで展示を撮影をしてデータを送ってもらい、こちらでwebサイトを制作してオンライン展示として公開するという内容。
コロナウイルスによる自粛期間中、止むを得ない形でオンライン展示をスタートさせたが、世界中どこからでも鑑賞できるオンライン展示の可能性を感じる事ができた。同時に、実在する場所の存在価値・存在理由みたいなものも改めて強く感じている。別の地の、また違うギャラリーで展示してそれをオンライン展示として見せたら、また違う何かが現れるのではないだろうか。
国内の感染状況はだいぶ収束に向かっていて、近くのギャラリーや美術館にも足を運べるようになりつつあるけれど、遠い場所、特に海外への移動ができるようになるのはいつになるか分からない。
でも僕はこの作品達をもっと色々な人に見てもらいたい。本来なら今頃アメリカで展示をしていたはずが、コロナのせいでそれもできなくなった。でも、作品だけなら海を越えて旅をさせる事もできる。そして、オンライン展示なら、僕が日本にいながらでも作り上げる事ができるのではないか。
巡回先はまだまったく未定です。関西からできるだけ遠い場所で、企画意図に賛同いただけて、設営作業をしていただけるギャラリーを探します。近々、ちゃんと内容をまとめたwebページを作ります。国内・海外問わず、おすすめのギャラリーがありましたら、ぜひご紹介ください!どうぞよろしくお願い致します。
6月11日
5月30日からギャラリーが開き、実際に展示を見てもらうようになった。直前まで、本当に開けるべきなのか?オンライン展示のままで終わる方がコンセプトが際立つのでは?とか考えていたけど、開けてみたらやっぱり開けて良かったと思う。通りすがりに看板を見てふらりと入ってこられる方もいるけど、自粛期間中ずっとオンライン展示を見ていました、とか、ここのテキストを読んでいました、という方が予想以上に多い。
それから、今回はこれまでの展示に比べて、作品や展示を見て感じたことや考えたことを積極的に話してくれる人が多くて、この場でずっとテキストを更新していた事が良かったのかなと思ったりしている。
hitotoさんでの「PICTURE」展、残り10日間。42日間のオンライン展示を経てリアル展示に移行して、感じた事や考えた事を少しずつまとめていきたいと思う。
展示最終日の6月20日には、今回写真を撮ってもらった三保谷さんとのトークを配信する予定なので、そこでも色々話せたらいいなと思うけど、うまく話せる自信はない。がんばるけど。
5月29日
先週、緊急事態宣言が解除された。僕は政府の方針や世の中の雰囲気が、急に変わってしまったように感じてしまい、僕自身の気持ちがそれについていってないような日々が数日間続いた。
そんな中、hitotoさんからギャラリーを開けてはどうかという提案をいただいたのだが、そんな状態の僕は、すぐに返事が出来なかった。もちろん、作品と展示を実際に見てもらえるのはすごく嬉しいのだけれど、正直、「もう開けられないだろう」「開けない方が良いだろう」と考えていた時間がずいぶん長かったので、すぐに頭を切り替えられなかった。
でも考えてみれば、この展示は作品が生まれ、展示をする事になり、コロナウイルスがやってきてオンライン展示になり、という流れがずっと自然に繋がってきて、結果ここでギャラリーが開く事になったのも一連の流れの一つだ。興味を持って見てきて下さった方にももう少しお付き合いいただければと思う。
hitotoさんとも話し合い、明日、5月30日からギャラリーオープンする事に決めた。
会期中、ギャラリーでは以下の感染防止対策を行います。
・扉や窓を開けて常に換気を行っております。
・ドアノブなど共用部は定期的に消毒しております。
・入口にハンドジェルを設置いたしております。
・お客さまにはマスク着用のご協力をお願いしております。
・入場制限をする場合があります。
移動時の感染リスクに気をつけていただきながらになりますが、是非足をお運びいただけると嬉しいです。
5月15日
今展「PICTURE」の作品撮影をしていただいた三保⾕将史さんにいただいたテキストを3回に分けてご紹介しています。今日はその3回目です。
現在は、液晶画⾯を通してなにかを⾒るということの過渡期で、世界中を包みこんでいるこの奇妙な時間によって、前述したデジタルという国の勢⼒も加速度的に広がっている。だったら仮に100年後、地球上の⼈類すべてがいわゆるデジタルネイティブになっていたら、「画⾯でみる」なんて⾔葉は死語を通り越して通じなくなってるかもしれません(そもそも”⾔語”のあり⽅⾃体が今と同じようにあるのかさえ謎)。だったらそれは⼀体どんな感覚になっているんだろう。
なにかしらの「再⽣」のためのデバイスだったものが、⾝体感覚として備わった時に、ネイティブな⾔語として「表現」されはじめるのだとしたら?僕たちが絵や写真やスマートフォンを⾒ている「⽬」も、五億年以上も前の頃は光をエネルギーとして受容する細胞組織の⼀つでしかなかったらしい。光の有無をただ感じるのみの単機能だったものから、のちに「視覚」が誕⽣すると⽣物界のバランスが激変し、多様な進化をうながす強い淘汰圧にもなった。
浩伺さんの作品と今の現状は、そうして⼀枚の絵がいかに⾒られるかということの果てしなさをはかる試⾦⽯のようなものとも⾔えるのかもしれない。あるいは逆?いずれにしても、僕⾃⾝はそこに表れるものを⾒てみたいと思っています。
今回の展⽰の機会を通して、あらためて「写真って?」を考えています。この記事をここまで読んで下さっていたらお分かりいただけるかもしれませんが、それは今回の展覧会のテーマである「絵画とは?」という浩伺さんの問いと重なるものです。今の現状が半ば僕たちに強制する鑑賞形態は、単なる情報の再⽣ではなく、複眼的に捉えることができる新しいチャンネルの⽰唆。その事によってどう⾒えてくるかという問題もまた、両者の問いと⼊れ⼦する。
はっきり⾔って現状の展⽰状態では、それを⽰すことはできていないと感じています。ただ少なくとも僕個⼈にとって、それを考える確実なきっかけにもなっています。こうして発表されているからこそ、様々なリアクションも受け⼊れていきながら、理解を更新していきたいなと思っています。
文:三保⾕将史 写真家
5月14日
今展「PICTURE」の作品撮影をしていただいた三保⾕将史さんにいただいたテキストを3回に分けてご紹介しています。今日は第2回です。
液晶画⾯という、現代の私たちにとって馴染み深いレイヤーは、⽇常的にネットやSNSを使う浩伺さんにとっても当然例外ではないということ。物質としての絵画/写真の置かれたフィジカルな三次元と並⾏して、その発光する膜が持つリアリティは私たちの⽇常に深く浸透している。またそれは⾔わずもがな、私たちの視覚⾃体にも⼤きな影響を与えていると思います。ある種それは、⾔語的な感覚とも似ているような気がしています。デジタルという国の誕⽣と繁栄に準じて培われてきている共感覚とでもいうか。(だから、例えばそれはある程度後天的に学ぶ事もできるし、ジェネレーションギャップがあったりもする)
⼀⽅で、僕らが現実の⾵景を⾒る時、その視界は遠近法的な構図でもって捉えられている。⾵景は⼿前であるほどすぼみ、遠くにいくほど広がる。つまり遠くにあるものは⼩さいし、⼿前にあるものは⼤きく⾒える、、現代の私たちにとって当たり前すぎる常識的な感覚です。他⽅で、それはカメラオブスキュラ、引いては⽊漏れ⽇に映る太陽の姿を⾒とったアリストテレスの時代に芽を出した⾵景の捉え⽅とも⾔われている。幾何や光学の発展に順じて、ヒトの視覚にも変遷があったという話。常識や価値観等ならともかく、⾁眼での⾒え⽅にも感覚的な違いがあったなんて事は、にわかに信じがたいかもしれませんが、もしかすると絵画史はその語り部とも⾔えるのかもしれません。
「絵画とは?」を僕は詳しくありません。ただ写真という技術が誕⽣したとされる約200年前、さらにその過去へと歴史を潜ってみるとすぐ、たくさんの絵を描く⼈々の姿が⾒えてきます。そしてそこではまだ「写真」は無いはずなのに、絵を描く⼈々はその単語を知ってます。どういうことか? 当時の「写真」という⾔葉は「姿を写し取る」といった意味で使われていたからだそうです。当時の”真”という⽂字は”すがた”を意味し、たとえば肖像画などを主に写真と呼んでいた。つまり「写真」とは「絵画」そのものだった。諸説あるみたいですが、その時代から地続き的に、また派⽣的に誕⽣した化学技術としての「写真」は、デジタルカメラの全盛を経て、誰もがポケットに携えるようになり、そして動画やVR、⼈⼯知能との融合など、テクノロジーの進化と共に様々に派⽣展開しています。
続く
文:三保⾕将史 写真家
5月13日
今日から3回に分けて、今展「PICTURE」の作品撮影をしていただいた三保⾕将史さんにいただいたテキストをご紹介します。
今回のPICTURE展に写真で関わっている三保⾕将史(みほたにまさし)です。この展覧会は、美術家・城下浩伺が描いた絵を、カメラで撮影し、写真として出⼒する、というプロセスがあります。僕はその写真で関わっています。
今作の浩伺さんの絵は、⻑い時間を掛けて緻密に描かれる普段のシリーズとは対象的に、ものの数分で次々と描かれていきます。筆と墨汁によって描き終えられた直後のその絵は、ちょっとでも動かすと絵全体が流れ動いてしまうほど、紙に吸収されるもしくは蒸発待ちの⽔分たちがまだゆるゆると表⾯張⼒している状態。「この瞬間を表現できないかと、家で描いている時よく思っていた」と聞いていた僕は、なるほどこういう事かと思いながら、卓上の新鮮なそれをカメラと⼀緒に眺めていました。
スタジオの蛍光灯の下、その⿊く瑞々しい絵の表⾯から全⽅向にはね返る光たちの中で、ある⼀点に置かれたレンズは、そこへのみ反射してくる光を収束し、⼆次元の像として記録する。結果を満⾜してくれている様⼦の浩伺さんを⾒て、ただシャッターボタンを押しているだけな気分だった僕は少しほっとしていたのでした。そうこうしている間にパンデミックが起こり、街中の施設は軒並み扉を閉めていきます。同じ頃、僕⾃⾝は別でアートフェアに参加する予定だったのですが、それも搬⼊前⽇に開催中⽌の連絡がありました。対岸の⽕事のように思っていたこの事態の⼤きさの実感は、フェアの会場⼊り⼝で「中⽌」と⼤きく書かれた看板を実際に⾒た頃からようやく芽⽣え始めます。その時が2⽉の末。再来⽉に控えていたこのPICTURE展の事も頭によぎりはじめていました。
そのさなかで、インターネットを活⽤する動きが活発化していく訳ですが、「だから我々も」ではなく「いまなにができるか」という思いから、浩伺さんはオンラインへ舵を切ります。僕はその時に、今展覧会の背景にあった「どこまでが絵で、どこからが絵でなくなるのか」という⾔葉が、あらためて⽴ち上がってきた気がしていました。
続く
文:三保⾕将史 写真家
5月12日
今日は片道45分ほど歩いて、地元にあるギャラリーで開催中の友人の展示を見に行った。歩きながら、今朝メッセージをくれた別の友人の事をずっと考えていた。帰り道、京都御所に立ち寄った。人はまばらで、木や草は大変元気で大きかった。お弁当を食べていたら四つ葉のクローバーを見つけたので、ギャラリーで購入した本に挟んで、また45分ほど歩いて帰宅した。良い展示、良い絵だった。ギャラリーが開いていて良かったなと思った1日だった。
5月11日
昨日とは逆の事を書いてみる。
今回の「PICTURE」はまったく違うのだが、僕は普段はGペンという細いペンを使って細かい絵を描くことが多い。絵のサイズも、ここ数年は100cm以上の大きなものをよく描いている。それらの作品は、全体を引きで見た時と近くに寄って見た時で見えてくるものがかなり変わるのだが、インスタグラムなどオンラインではそれをなかなか表現できない。全体像を写した引きの写真と、細部をとらえた寄りの写真で構成しても、スマートフォンの小さな画面で見ると実物とは印象が違うと感じる。こればかりは実物を見てもらう以外に伝えきるのは難しい。整えられた壁、掃除された部屋、落ち着いて作品を見られる環境も必要で、ギャラリーなしで理想の状況を成立させるのは困難だ。
僕は2018年に原美術館で観たリー・キットの「We used to be more sensitive.(僕らはもっと繊細だった。)」がすごく好きなのだが、あの展示は空間全体を使い、扇風機の風、観客のささやかな反応なども作品の一部になっていて素晴らしかった。美術館の閉館が発表された後というタイミングも、良かったと思う。
絵に限らず、世の中のありとあらゆる物事をディスプレイ越しに見る事が当たり前になっていって、この先僕の脳もそれにどんどん慣れていく。でも、その日・その瞬間・その場所だから成立する作品というのは本当におもしろくて魅力的だ。そうやって何としてでも見にいきたいと思わせる展示を作りたいと思っている。
5月10日
2〜3年ほど前からだろうか、インスタグラムで絵の鑑賞を楽しむ人が増えているのを感じるようになった。僕自身も、以前はインスタグラムなどスマートフォン上で見る画像の先には実物(原画)があり、実物(原画)はこんなふうかな?という想像をふまえて見るという楽しみ方だったと思うが、徐々に純粋にディスプレイ上での「鑑賞」が成り立ち始めているような気がしている。スマートフォンの画質がどんどん良くなり、画面も大きくなり表示スピードも速くなってストレスがなくなって来た事は理由の一つでしかなく、それよりも僕の意識の変化の方が大きいのではないかと思う。
もともと、僕は「手描きの方が偉い(価値がある)」みたいな意識がない。
たまに実物を見て「インスタで見てた時の方が良かったな」と思う作品もあるけど、だからダメだとも思わない。インスタ上でベストパフォーマンスが出せてるなら、それは「絵画」なのではないだろうか?
問題の一つとしては、それでは原画が売れないという事だけど、これはお金(価値付け)の問題であって、芸術性の問題ではない。
5月9日
この場所に展示開始前に書いていたテキストを改めて読み返してみると、ギャラリーを開けられない事をちょっと悲観的に書きすぎていたかなぁと今は感じる。読んで下さった人達は「今回オンライン展示になってしまってかわいそう」と思わざるを得ないかも…
実際のところは、ギャラリーを開けない事を決めようとしてる時、決めた時、僕はその決定に前向きな意思や明るい希望を持っていたし、今も持っている。この時期に展示をするのは、いつも通りにいかないことばかりで大変だったけれど、作家としてそれを経験できたのはむしろ機会に恵まれたと言っても良いと思っている。
ただし、オンライン展示がリアル展示を代替できるとは全く思っていない。役割が全然違うと思う。
5月8日
開いていないギャラリーに作品だけがずっと展示されているのは、妙な光景だ。
5月7日
今回「Picture」の撮影をしていただいた三保谷将史さんとのアーティストトークを、近々オンラインでやろうと思っています。三保谷さんとは作品を制作しながら、いろいろな話をしてきた。最近気になっている事をお互いに伝えあったり、おすすめしてもらって同じ本を読んだりしている。今回の作品のコンセプトにとても興味を持って理解してくださっているので、僕よりもうまく説明してくださるのではないかと期待している。
2012年に三保谷さんの写真を初めてみた時に、僕は「もし僕が写真家になっていたらこんな写真を撮っていたかもしれないな」と思った事がある。いくつか共通している感覚があると思うのだが、ものすごく違う部分もたくさんある。おもしろいトークになれば良いなと思っている。僕は何度やってもトークが下手でなかなか上手く話せないのだが、お客さんがいないオンラインのトークなら少しは緊張せずに話せるだろうか。がんばります。
5月6日
展示開始の少し前に全国的に緊急事態宣言が出て、昨日は「新しい生活様式」というものが発表されたそうだ。この状況はこれから1年か2年くらい続くかもしれないとも言われる。世の中のルールは、どんどん変わっていっている。
僕は今も本屋で働いていて、感染するリスクや逆に自分が感染させるリスクを考えると毎日とても怖いけれど、世の中の事はコロナの前よりもマシに思えるようになったと言うか、少しずつ好きになっている。
今だけかもしれないけれど、多くの人達が他人に優しくなっているような…自分と同じではない考え方の人達の事を思い遣ったり、受け入れたり、困っている人がいたら助けるという事とかが自然にやり易くなった気がしている。
そういう空気と、今自分がやっている作品展示が、うまく言えないけど自分の中では、繋がっていてとてもしっくり来ている。今回の作品はそもそもの始まりは個人的な欲求(夜中に一人で絵を描いていて、この絵の画材が乾く前の瞬間をとどめたい!という欲求)から始まり、それの撮影を三保谷くんにお願いし、プリントし、展示空間を作り、と段階を踏む毎に、どんどんパブリックなものになっていっているような感じがしている。そしてそれは、もっともっと拡げていけるかもしれないし拡げるべきなんじゃないかというような気持ちが湧いてきた。
これから数年間、コロナと共存しなければいけないかもしれないという事態で、この先の世界が絶対こうなるなんて科学者も経済学者も分からない事だが、こういう時だからこそ「僕は、こんなふうに表現しながら生きていきます」と無責任に言いたいような気持ちだ。
5月5日
今回の展示はいつものようにギャラリーに在廊して来場者の反応を見たり、感想を聞いたり話したりが当然出来ない状況なのだけれど、オンライン展示を見た人からメッセージを頂く事が多い。みんな、コロナウイルスが収束し、ギャラリーに実際に足を運んで作品を見る日を楽しみにしてくださっている。
今回、緊急事態宣言が出されるよりも早くオンライン展示に踏み切れたのは、ディスプレイを通して作品を鑑賞するという体験が今回の作品のコンセプトに合っていたからだ。それはある意味幸運だったとも思うけれど、「コロナウイルス」という要素が強すぎて、今、絵画とは何なのか?どこまでが絵なのか どこから絵でなくなるのか という今回のテーマについてもう一歩踏み込んで考えることを難しくしているように思う。ギャラリーで展示を体感してもらえば何か気づいてもらえるのではないかとは思うけれど、でも、オンライン展示でどうすれば伝えられるのかを今も考えている。
5月4日
4月18日から始まったこの「PICTURE」展は、本来5月2日までの会期の予定だった。つまり5月4日の今は、ボーナスタイムというか、ロスタイムというか、コロナウイルス以前の世界には存在しなかった会期に突入している。
緊急事態宣言は4月7日に出され当初は5月6日までの予定だったけど、5月31日まで延期する事が今日発表されるらしい。5月31日にコロナウイルスが十分収束しているとは僕は正直思えない。
このサイトでは展示が始まるまで考えていたことを毎日綴ってきたが、今日からは展示が始まってから考えていることを綴ってみようと思う。
4月19日
オンライン展示がスタートした。いつも展示初日は必ずギャラリーに在廊するので、家で過ごしているというのは何かすごく不思議な感覚だった。でも普段の展示と同じく、一日中そわそわしていた。どんな人が見に来てくれるのかは分からない。Webを作ってくれているみふくデザインさんから、たくさん見に来てくれているというのを聞いたり、友人達から「見たよ!」という連絡が来たりするので、そこそこ見られているのは分かるけれど、ギャラリーの展示空間の中で、作品の前で、見ている人達の様子を見たり話をしたりするのとは、当たり前だけどやっぱり違う。
夜、hitotoの田中さんから連絡があり、ポスターとプリントの売り上げの報告を聞かせてもらった。何年も前から僕の作品を見てくれている方が、大きいサイズのプリントを購入してくださっていた。すごく嬉しかった。今回の展示は自分にとって節目になる展示で、その展示作品の中でも象徴的な作品を選ばれていて、そんな話は全然してないのに、ずっと見てもらってるから分かるのだろうかと驚いた。
4月17日
明日は4月18日展示初日。0時にオンライン展示スタートの予定です。実際のギャラリー自体は感染拡大を防止するため、開けません。
オンライン展示をしようと決めたのは3月末頃だった。その時はまだギャラリーでの展示に人を呼べなくなるような状況になるとは思っていなかった。でも人を大勢呼ぶのは、ちょっと難しそうなので、ギャラリーに来られないに人はオンラインで見てもらおうという考えで始める事にしたのが今回のオンライン展示の原形だった。まさかここまで感染者が増え、人がたくさん死ぬとは思っていなかった。僕は美術作家をしながら書店でも働いている。数日前に営業時間がやっと少し短縮になったが、お店は休みにはならない。感染するかもしれないと思いながら働いたり、もうすでに僕は感染していてウィルスをあちこち撒き散らしてるのではないか?と考えると本当に恐ろしい…辞めるしかないのかと悩みながら展示の準備を進めてきた。
コロナ関連の情報は日々変化しているが、僕たちはコロナウイルスと、あと1、2年は共存していかなくてはいけないようだ。ここ数週間で世の中の当たり前だった事がどんどん変わっている。僕は今の所そんなにいい事が思いつかない。 直接会って何かを一緒にする、密なコミュニケーションの大事さを、僕は作品をギャラリーで発表するようになってから随分感じるようになった。それまでは積極的に人に会いたいと思っていなかったし、自分の世界は、ほぼ完結していると思っていた。通りすがり程度の人付き合いはあるけど、五感をフルに使って人と接するような事はあまりなかった。髪の毛伸びたね、とか今日は匂いが違うな、とか新しい靴買ったんですね、とか。音だったら、今日は声が大きいな、とか鼻が詰まってる?風邪気味?花粉症?とか、握手をしたり肩を叩いたり叩かれたり、そういう感覚を、作品を発表するようになってから随分と使うようになった。人と一緒に作品を作ったり、展示を作ったり、僕にはないスキルや才能を持っている人達、僕とは違う物との接し方をしている人達、めちゃくちゃ優しい人や、何度会ってもなかなか仲良くなれない人や掴みどころのない人達。違う職種や感覚を持つ人達。そういう色々な人とのコミュニケーションが僕の幅を広げてきた。
今はコロナのせいで、そういうコミュニケーションが取り辛い。テキストでやり取りしたり、ZoomやSkypeでは話せるけど、視覚と聴覚だけになる。相手の顔色とか声のトーンだけでなく、匂いやカメラやマイクで拾えない細かい情報がないのは不安だ。
人間は新しいコミュニケーションの方法をこれから学んでいくのだろうか。
どういう新たな出会い方が生まれるのだろうか。
このオンライン展示を見て初めて僕のことを知る人と、新しいコミュニケーションを始めるという事もあるだろう。僕はそれを見つけたい。
4月16日
今回の作品が形になるまで、いろんなイメージが頭の中にあって、いろんな方法を試していた。説明するのが難しいのだが、ただの「影」みたいな画を作りたいと思って試してみたがうまくいかなかった物がある。今から思うとその時の、作品として成立させられなかったイメージも、今回の作品に繋がっている。繋げるためには、フラットでいないといけないと思っている。どういう事かというと、人のものを欲しがらない事だ。自分から出てくるものをじっくり待つ。何年も掛かったりするけど、それしか方法はないと思っている。
4月15日
昨日の続き。
僕はコンセプトから作品を作ることがほとんどなくて、いつも自分でも説明しようがないイメージが先にくる。数年前から頭の中にあったイメージを表現するために試行錯誤した結果、今回の手法を取るようになった。実際に少しずつ形になって行く過程を目の前にして、この作品は絵なのか?写真なのか?そもそもどこまでが「絵画」なんだろう?と改めて考える事になった。「絵画」を写した写真は「画像」であって「絵」ではないのか?でもそれが観たかった「画(イメージ)」そのものなのだとしたら、それは「絵画」なのでは?と考えを巡らせるうちに「PICTURE」というタイトルが浮かんだ。
「どこまでが絵なのか どこから絵でなくなるのか 僕はこれは、まだ絵だと思う」
フライヤーに掲載してもらったこの文章は、作品を作りながら自然に出てきた言葉だったのだけれど、結果的に、「絵画とは何か?という問いを城下さんなりの言葉で表現するとどうなりますか?」への僕の現時点での返答といえるかもしれない。
4月14日
僕はこれまで自分の作品や展覧会に特定のタイトルを付けた事がなかった。いつも作品は「タイトルなし(Untitled)」で展覧会名も「城下浩伺展」だった。それは、特定のタイトルを付けてしまう事で、作品の受け取られ方を限定してしまうのが嫌だったからだ。自分の作品について言語化するのもとても苦手だ。「言葉で説明ができないから作品を作っているんだ」「作品を観ればわかる」と思っていた。これは、作家にはとても心地が良い言葉だと思う。しかし、それは陳腐な言い訳でもあるし、自分の作品が社会とどう関わっているのかという事から逃げている事でもあったと思う。
数年前から作家本人が作品を言語化するという事とはどういう事なのか、どういう意味があるのか悩むようになっていた。当時、個展でのトークもそれをテーマにして開催した。ここからそのトークを読んでいただけます。本当はあまりにも僕のトークがひどくて恥ずかしいので読まないで欲しい。これまで僕はとても読み返せずにいた。ゲストの福元崇志さんからの問いにしっかり回答したかったのに、全然出来なかったという悔しさがあった。そして、自分のトークの拙さに向き合えなくて、せっかくテキストとしてもまとめてもらったのにそれをしっかり振り返る事をしてこなかった。
しかし、さっきこの文章を書くにあたって約3年ぶりにトークを読み返してみたら、色々と覚え違いをしていた事に気づいた。トークの中で福元さんは「今までの絵画の歴史の中で、創造性の高い作品を残してきた作家というのは、例外なく『絵画とは何か?』を独自の形で問うています。その問いを城下さんなりの言葉で表現するとどうなりますか?」と聞いていたのだが、その後の僕の返答を読むと、僕は「絵画とは何か?ズバリ答えてください」みたいに受け取っていたようだ。そして全くうまく答えられず、挫折した気分で、記憶から抹消していた。
続く
4月13日
身近な人達には告知していたのだが、5月〜6月にかけてアメリカ オレゴン州のスプリングフィールドという街で滞在制作と展示をする予定だった。ゲストハウスを経営されているNancyさんとMarkさんが、宿泊場所と展示スペースを提供してくださる事になっていた。スプリングフィールドは、ポートランドというアーティストが多く住んでいる街の南にある。お二人はポートランドのギャラリーで展示する事も勧めて下さったけど、僕はお二人のいるスプリングフィールドで誰も見たことのないギャラリーを作って展示をしてみたいと思った。元ガレージで、現在は地元の人達とのコミュニティスペースとして使われている場所を、滞在中に出来うる限り改装し、展示をさせてもらう事にした。展示構成を考えたり、アメリカでの生活を想像してワクワクしていたのだが、2月あたりからコロナウイルスの名前を聞くようになり、アジア人が欧米で「コロナ」とか呼ばれて差別に遭ったというニュースも聞くようになって、渡米が少し怖くなった。NancyさんとMarkさんはとても良い人達なのでそんな心配は全くないけれど、もしかしたらアメリカでそんな差別に遭うかもしれない。でも悪い事や悲しい事も作品に変えられるのがアーティストではないか、臆せず行こう!と思った。 結局、そういう問題ではなく渡米は不可能になってしまったけど、悪い事や悲しい事も作品に変える事が出来るのがアーティストではないか、という思いが残った。
スプリングフィールドには、来年になるか再来年になるか分からないけれど、必ず行くつもり。
4月12日
ポスターの試し刷りが上がってきた。めちゃくちゃかっこいい!サイズも、大きすぎるかな?と思っていたけど全然そんな事なかった。早くみんなに見てほしい。作品も、オンライン展示はするけれど展示空間で実際に見てほしかった。本来ならあと1週間後にはみんなに実物を見てもらえるはずだったのに、悔しい。
4月11日
数ヶ月前、まだ新型コロナウイルスの話など全然聞く事がなかった頃の事。展示の打ち合わせをしていた時にhitotoのデザイナー田中さんが「何か作品の他にも販売したいものとかありますか」と聞いて下さった。僕は今までポストカードやカレンダーなどのプロダクトを作ったことがない。展覧会では原画作品だけを売ってきた。原画が一番いいんだから、他はいらない。と思っていた。でも今回の展示ではそもそも原画というものがない。このタイミングで何か作るのはおもしろいと思った。
田中さんは、ポスターを作る事を提案して下さった。ポスターの大きさはB2サイズ(515 × 728mm)。田中さんはもっと小さくて気軽に手に取れるものをおすすめしてくれたけど、どうも小さくする気になれなかった。京都にあるサンエムカラーという、写真集などの印刷に定評のある印刷屋さんにお願いする事になった。特色2色+ニス加工、100部限定エディションナンバー入り。初プロダクトなので、めちゃくちゃかっこいいものにしたくて、大きさも印刷方法も贅沢をしてしまい高くついてしまった。
この大きさだとかなり存在感があるので気軽には飾れないかもしれない。飛ぶように売れるような事も無いだろう。でも展示を見てもらえば、欲しいと思ってもらえるはずだという自信があった。結局、新型コロナウイルスのせいで、実際に展示を見てもらえるかどうかが分からなくなってしまったけど、オンライン展示を見て「実物が見たい」と思ってくれた方は、ポスターでちょっと展示を見た気持ちになれると思うので、ぜひ買ってください。4月18日スタートのオンライン展示会場で販売します。宣伝でした。
4月10日
この特設サイトの見た目がちょっと変わった。空っぽのhitotoの空間。8日後の4月18日、ここに作品があらわれます。パソコンでご覧の方は写真の上でマウスを動かしてみてください。スマートフォンでご覧の方は写真をタップしてみてください。
4月9日
新型コロナウイルス感染症対策として東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、兵庫、福岡の7都市に対して緊急事態宣言が出た。これまでもずっと感染拡大状況や世の中の動き、政府の発表などを見ながらhitotoの皆さんとどういう形で展示するかを探ってきたが、今日Zoomでオンラインミーティングをして、会期をこのように決めた。
・オンラインでの作品展示は4月18日オープン。
・新型コロナウイルスの感染状況が落ち着き、会場に足を運んでもらえるようになったらオンライン展示は終了し、hitotoの会場をオープンします。時期については随時サイトでお知らせします。
オンラインとギャラリーでの展示を同時開催する予定だったが、状況が落ち着くまではギャラリーは開けない。皆さん、家でオンラインで見てください。そして、状況が落ち着いたら是非ギャラリーに足を運んで、実際に観てください。もしいつまでも状況が落ち着かなかったら、最悪、実際に観て頂く事は不可能になるかもしれない。そうなったら作品を作った作家当人としてはめちゃくちゃ悔しい。が、展示に来てもらうことで大切な人が感染するかもしれないと考えるとこのような判断になりました。
どうすればオンライン展示を、実際に展示に足を運んで見てもらう感覚に近づけられるか、hitotoの皆さんと色々考えています。
4月8日
3月末頃の事。新型コロナウイルスのせいで、展示準備のスケジュールが二転三転し、なかなか定まらなかった。いつもなら展示するのは原画だから、遅くても設営当日に絵が仕上がって乾いていればそれで良いのだが、今回は違う。最後に出力という作業があった。
三保谷さんと一緒に出力作業をする予定だった施設も、休館になってしまった。最初は3月18日まで、その後は3月いっぱいまでに延び、最終的にはいつ再開できるか分からないという連絡が来てしまった。途方にくれていたら、三保谷さんがご自分の母校の施設を使わせてもらう話を取りつけてきてくれた。それでもいつコロナウイルスのせいで校舎に入れなくなるか分からないという緊張感で、僕は毎日落ち着かない日々を送っていた。やっと出力できた時はもう嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。無事に出力できただけでも嬉しかったけど、めちゃくちゃかっこよかった。
この絵(画)の「完成」はどこなのか、改めて考えてみたくなった。僕が描く行為は既に完了している。そして三保谷さんの撮影も完了している。原画というものも存在し無い。出力するまでは、パソコンに取り込んだデータが作品の「完成」だと思っていた。でも出力したものを目の前にして、「これが完成だったんだ!」と思った。いつも原画を展示している僕にとってはこの時間のずれはとても奇妙でおもしろい。写真家の人達にとって、作品の「完成」はどこなのかな?と思った。今度、三保谷さんにも聞いてみようと思う。
4月7日
今回の作品の制作は、地元京都にあるKAGAN HOTELという施設の地下にあるスタジオで行った。若いアーティストが住みながら作品を制作・展示できるという場所で、今回撮影をお願いした三保谷さんはそこのレジデンスアーティストに選ばれて、2019年の秋に京都に引っ越して来られた。
その年の冬、三保谷さんが誘って下さって、一緒にKAGAN HOTELで暮らしているアーティストのKeith Spencerさんや佐藤元紀さん、管理人のChing-Annさんと、鍋をごちそうになった。その時に、三保谷さんの部屋には暖房器具がないという話になって、僕はうちで使っていないオイルヒーターをあげる事にした。今の家に引っ越してきてからは、エアコンがあるのでそのオイルヒーターは使っていなかったけど、前のアパートでは冬の間、このオイルヒーターにめちゃくちゃ助けられていた。そして今三保谷さんが住んでいるKAGAN HOTELは、僕が前に住んでいたアパートのすぐ近くにある。
三保谷さんがオイルヒーターを取りに来られた時に今回の作品の相談をした事がきっかけで、三保谷さんに撮ってもらう事になった。自然のなりゆきだったけど、今から思うとこれしかないという形になって、僕も驚いている。
4月6日
僕はレオ・レオニの絵本の中で「フレデリック」という作品が一番好きだ。仲間のねずみ達が冬に備えて食料を集めたりしているのに、一緒に働かないフレデリックというねずみの話。しばらく忘れていたけど、ふと思い出した。
4月5日
地球にとっては、ウイルスも人間もどっちが偉いとか価値があるという事もないんだろう。
4月4日
3月下旬頃の事。
新型コロナウイルスは全然収束していく気配が無い。予定では4/18から僕の展示が始まるはずなのだか、いつも通りに展示の準備をし、しっかり整えて展示開催できるのか心配になって来た。展示会というもの自体が「不要不急の活動」の一つとみなされているようだ。僕はその時点では、自分の展示をやめたり延期したりするという事は全く頭になかった。
でも、美術館は閉館したままだし、今展示中の作家さん達も、見に来てくださいと強く発信できない空気が漂っていて、日に日にその感じは強くなっていた。
4月3日
今回の展示は、別の展示の企画がきっかけになっている。それは京都にあるKOUSAGISHA GALLERYさんというギャラリーでの展示(2020.11月開催予定)だ。作家でもありそこのギャラリストでもあり友人でもある加藤智哉さんが声をかけて下さった。とても光栄だったけど、僕はなかなか具体的なところまで話を進める事が出来ず、一旦その話は保留な感じになってしまった。でも加藤さんは、一昨年くらい前にもう一度改めて声をかけてくださった。とても嬉しかった。やりたい事が色々溢れ出てアイデアを練っているうちに、僕は支離滅裂になって来てしまった。一つの展示に複数のテーマを詰め込み過ぎな感じというか…。これは展示を分けた方がいいんじゃないかという思いに至った。そこで僕は大阪にあるギャラリーhitotoさんに相談する事にした。hitotoさんは、以前から大好きなギャラリーで、一緒にクリエイターグループの_act_をやらせてもらっている大岡さんが運営メンバーの一人でもあるギャラリーだ。僕は、コメダ珈琲でモーニングを食べながら大岡さんに展示をやらせて欲しいと話してみた。大岡さんはいいですよと言って下さって、あと二人の運営メンバーである田中さんと山家さんにも話して下さって、展示が決まった。その後、実は僕が展示したいのは絵じゃないんです。と言ったら、田中さんは「えっ!」と言って驚いていた。
4月2日
今回の作品が生まれたきっかけについて。僕は普段夜中に一人で絵を描いている。毎日毎日描いていると、さっきまでこの絵はいつ完成するのかな?あと一週間くらいはかかるのかもしれない…いやあと一ヶ月はかかるだろう。いやもっとか…最低でも半年はかかる…と思っていた絵が、突然完成する瞬間がある。わあっ!すごい、完成だ!と驚き、すごく満足するのだけれど、翌日その絵(画)を見直してみて違和感を感じる。昨日の感じとは全然違う。そして、完成させるために絵に手を加える。加えては見直し、加えては見直し、最初に完成だ!と感じた時の絵とはまるっきり違う絵が、随分と時を経て完成する。その絵は堂々と完成しているし、満足しているのだけど、あの時の絵とは別の絵だ。あの「完成だ!」と思った瞬間の絵(画)をどうにかして残す事が出来ないのだろうか?と思うようになり、画材を工夫したり色々と実験してみたが、どうもしっくりこない。結局、自分のiPhoneで写真を撮って残す事にした。そしてこれらを作品として発表したいと思うようになった。昨年末ひょんな事から前から作品が好きだった写真家の三保谷さんにその瞬間の絵を撮ってもらえる事になった。僕が見たかった画はそこにあった。完璧だった。写真家の目、技術…なんて言えばいいのか分からないけれどそう言う類のものに圧倒された。これは絵なのか?写真なのか?僕はどちらでもいい。
4月1日
SNSなどを通して、パソコンやスマートフォンのディスプレイで絵を見る機会が圧倒的に多くなってきている今、
「絵画」の本質はどこにあるのか?という疑問を、ここ数年ずっと持ってきました。
今展はその問いかけでもあり
今自分が可能なかぎりで答えを導き出した結果でもあります。
1年前に今展の企画がスタートし、ようやくお披露目するタイミングになったところで
新型コロナウイルス COVID-19の感染が拡大し、展示会場に足を運んでもらって実際に作品を見てもらう事が難しい状況になってきました。
展示の開催をどうするかを考えなければいけなくなりましたが、この作品を今発表したいという気持ちが強く、展覧会は開催します。
そして、同時にこちらでオンライン展覧会を同時開催する事にしました。
会期スタートの4月18日までにCOVID-19が収束し自由に展示会場に足を運んでいただけるようになる事を祈りつつ、毎日少しずつ更新していきます。
毎日0時頃更新です。
僕が作家として今できる事は何かを考えた結果、この形になりましたが
今回の作品とこの状況との不思議な繋がり、因縁を感じています。
B2サイズ / 100部限定(エディションナンバー入)
販売価格: ¥4,400(税込)
エディション:100
技法:オフセット印刷(ダブルトーン+ニス加工)
サイズ:B2(515mm×728mm)
クレジット:絵 / 城下浩伺、写真 / 三保谷将史
デザイン:タナカタツヤ
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Edition of 100
Offset printing(Duotone+Varnish)
Size: 515 × 728mm
hitoto online storeでの販売は終了しました。
A4サイズ
販売価格: ¥22,000(税込)
エディション:5 + 2 AP
ピグメントプリント
サイズ:210 × 297mm
裏面にエディションナンバーおよび作家のサイン入り
A3ノビサイズ
販売価格: ¥33,000(税込)
エディション:5 + 2 AP
ピグメントプリント
サイズ:329×483mm
裏面にエディションナンバーおよび作家のサイン入り
hitoto online storeでの販売は終了しました。
美術作家 https://koji-shiroshita.com
京都生まれ、京都在住。京都造形芸術大学 情報デザイン学科卒業。
約10年間未発表のまま絵をかきためた後、2013年より発表を始める。
2015年、現代美術の国際コンペティション「Art Olympia 2015」5位入賞。
2014年からは関西を拠点とするクリエイターグループ「_act_」のメンバーとしても活動。
写真家 https://masashimihotani.com
大阪生まれ、京都在住。大阪ビジュアルアーツ夜間部写真学科卒業。
京都造形芸術大学 芸術学部 通信教育部写真コース 非常勤講師。
主な受賞歴に2018年度JAPAN PHOTO AWARDなど。
近年は古典的な写真技法を通し、日常にありふれる特別では無いものに焦点を当てた作品を制作。
写真:三保谷将史
PICTURE 特設サイト制作:みふくデザイン https://mifuku-design.com
広報デザイン:タナカタツヤ hitoto https://designsalad.net/
展示風景撮影:大岡 由和 https://www.instagram.com/_107_/
ステートメント翻訳:松嶋 友紀 http://pinetreetranslation.com
展示会場:hitoto 大阪市北区天神橋5-7-12 天五共栄ビル301 https://hitoto.info
作品制作場所:KAGANHOTEL 京都府京都市下京区朱雀宝蔵町99 https://kaganhotel.com